ちらうらにっきちょう

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都市伝説 徳川埋蔵金と童謡「かごめかごめ」 ※長文乱文注意

世間じゃ安倍さん退任がタイムリーな話題で、今日はどこを見てもそれが一番の話題のようなので、あえて逆らってみます。
そもそもウチはニュースサイトのつもりなんて毛頭ないのですよ。
ブログ始めて間もない頃に一度言っただけだから、憶えている人もいないだろうけど。
ということで、今回は久しぶりに、記事数の少ないカテゴリに、記事を増やしてみるテスト。


ハローバイバイの関暁夫が都市伝説に詳しいってことを、今では結構知ってる人も多いかと思うんですが。

私がそれを知ったのは、確か去年(2006年)の年末くらいだったかな…
V6・井ノ原とTOKIO・国分がやってるTBSの深夜のトーク番組(名前忘れた…)に、ゲストで来た時だったんですがね。
(追記:放送日を調べてみたら、今年の3/3だったようです。3ヶ月も記憶とズレてる…)
まあ、「ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説」を出版したから、それの宣伝だったんですよ。

で、その時に、本に収録されている話の中からいくつかピックアップして話してましてね。
その中でも「徳川埋蔵金」の話が、これが個人的にツボにハマりまして。
元々そういう話(都市伝説とか超常現象とか)が好きなんです。

だからその後始まったオリラジの、TBS土曜ゴールデン帯の番組(これも名前忘れた)で、関暁夫がレギュラーで都市伝説の話をするって知って、ワクテカして待ってたんですが。
実際番組がスタートしてみれば、取り上げていたのは
「『にしこり』って書くと松井の顔に見える」とか、
「『ぷ...。』がボーリングやってる人に見える」とか、
ネット上じゃとっくに有名なうえに「それって都市伝説???」って頭を抱えるようなネタばかりだったりして、そりゃもうガッカリしたのなんの…
って、そんなグチは、今はどうでもいいんですよ。


で、もう一度「徳川埋蔵金」の話を詳しく見たくて、仕方なく今年の春ごろに上記リンク先で紹介した本を買ってきましてね。
これ だ け のために。我ながらアホです。ええ。

うまく説明できるか分かりませんが、知らない人の為にここで紹介しようかと思います。
では、↓からスタート。



と、その前にまず、童謡「かごめかごめ」の歌詞のご紹介。
(参考:wikipedia
「かごめかごめ 籠(かご)の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?」
これが、徳川埋蔵金の謎を解く暗号になっているという話が、以前からあったそうです。

「かごめ」とは、竹で編んだ「籠の編み目」。この目のひとつひとつが、よく見ると六芒星の形をしています。
徳川が関東で建てた神社や仏閣を線で結ぶと、この六芒星の形になるそうです(詳細が分かり次第、追記するかも)。
その六芒星の中心にあるのは、「日光東照宮」。
「籠の中の鳥(井)は」というのが、この日光東照宮を示すというのです。

「鶴と亀が滑った」
日光東照宮の中には、鶴と亀の像があります。
「夜明けの晩に」
これは、朝陽の光が当たって出来た影のことをあらわすそうです。
つまり、「鶴と亀の像に、朝陽の光が当たって出来た影」。
ちなみに「滑った」とは、埋蔵金を統一(統べる?)ことを指すそうです。

影の伸びた先にあるのは、「見ざる言わざる聞かざる」の木彫りの彫刻。
その三匹が見ている先にあるのは、眠り猫の像。
そのさらに先にある階段を上ると、ある人物の墓。

「後ろの正面だあれ?」
その墓の後ろを振り返ると、そこにあるのは祠。
この祠には、上部分の三角が欠けた六芒星の印が刻まれていて、それはまるで下を指しているように見える。
つまりは、その祠の下。


そこが、「徳川埋蔵金」の在り処だということらしいです。


そこは地質学上の調査でも、99.9%の確率で土や石以外の物が埋まっているとされるそうです。

そこまで分かっていながら、何故放置されているかといえば。

表の理由は「日光東照宮」が世界遺産だから、だそうです。
可能性が確実じゃないのに、世界遺産の土地に手を加えるわけにはいかないから。

そして裏の理由は、「歴史が変わる可能性があるものも、一緒に出てくる可能性があるから」だとか。
仮に家計図などが出てきて、そこに歴史を書き換えなければならないようなモノが記されていたら、それは日本だけでなく世界中で事実を書き換える事態になる。
知らなくていい歴史は、掘り返さなくていい… ということらしいです。
…が、ぶっちゃけ、個人的には正しい歴史があるのなら、そっちを伝えたほうがいい気がしますが。


まあ、とは言っても、結局は「都市伝説」の域を出ないネタ。

信じるか信じないかは、あなた次第です。



わーい、堂々と決め台詞パクってやったよーヽ(´ー`)ノ



おまけ:
ここで出てきた童謡「かごめかごめ」ですが、これにまつわる話は徳川埋蔵金だけじゃないようです。
「松尾芭蕉=服部半蔵」説というのもあるみたいで。
(もっとも、残っている両者の家系図は繋がっていないので、ガセという説もあるようですが。)

ろくにメディアもない時代に、何故この歌がここまで日本全国に広まったか?
という謎には、この松尾芭蕉が歌を広めたという説もあるようです。
(徳川の意向を受けて、童謡を広めることで各地の大名に「徳川にはまだまだ余裕あるでぇ~」ってけん制をかけるためとか、逆に 各地に埋蔵金のヒントをばら撒くことで徳川に何らかの圧力をかけるためとか、広めた理由も色々と言われているようです。)


「松尾芭蕉=服部半蔵」説の根拠とは?

松尾芭蕉といえば「奥の細道」ですが、この他にも色々な場所に足跡を残しているそうです。
しかし当時、今のように日本中何処でも気軽に旅に行けるような状況ではありませんでした。

というのは、まずひとつは「関所」。
これをあそこまで自由に行き来できたのは、芭蕉に権力のお墨付きがあったから、という説。

そして、芭蕉は当時46歳にして、日に数十キロという距離を歩き続けたとか。
当時のそんな高齢で、今のように道も舗装されていない場所で、そこまでの距離を歩けたのは、若い頃にそういう訓練を受けたから…というのも、「松尾芭蕉=服部半蔵」説の根拠だそうです。

半蔵といえば忍者=特殊部隊。
重要な部隊の長であり、大きな功績を残した半蔵に徳川が与えた褒美は、「自由にして欲しい」という願いを叶えたことだったとか。
かくして権力のお墨付きで自由気ままに旅に出た半蔵ですが、その時に使った偽名が「松尾芭蕉」だというのです。

ちなみに、皇居(旧江戸城)の近くにある「半蔵門」という地下鉄の駅があるのは知ってる人も多いかと思いますが。
あれは、その功績から半蔵に与えられた土地名の名残だとか。


とはいえ、これも結局は都市伝説の域を出ない話。
源義経=ジンギスカン説みたいなものなんでしょうかね。なんとなく。


相変わらず私の説明が下手なので、どれだけ伝わったか分かりませんが…
なんかこういうロマンのある話って、ワクワクしませんか。


まあ、結局のところ信じるか信じないかは、あなた次第です。



わーい、2回もパクってやったよーヽ(´ー`)ノ



(以上、参考文献:竹書房「ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説」)


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